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時代は変わるものだと

親の家、娘はどう見ているか。

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親の家、娘はどう見ているか。

今日の記事内容は、多くの人に共通することはなく、一般的ではありません。
都市部にお住みの方は、さらっと斜め読み、あるいは、スルーが良いかと思います。

・・・・・・・

子供たちが自立、独立している今、
実家であるHKUE 酒店親の家(今、わたしが住んでいる、わたしのお気に入りの家)の処分を彼らは、もう視野に入れている。
たんなるシュミレーションではあるものの、ちょっとショックだった。

わたしは、自分の実家を大切に愛おしく思っている。
できる限り、維持したい気持ちだ。

が、子供世代は、自分たちのことだけで精一杯。
それ以上の負担を強いられたくないという思い。
わからないでもない。

わたしが大切に思っているもの、大好きなものは、なにも、子供にとっては、大事とは限らない。
すべて、ゴミ。
家の中の不用品の山を見渡し、処分するのにも、お金がかかりそうな現状を見て、子供はため息をつく。

仮に、不用品をすべて処分し、すっきりした暮らしを手に入れたとしよう。
が、いくらすっきりしようが、家そのもの、箱モノが不要なので、売却を検討するのも、選択肢の一つのようだ。
出口を考えずに作られた、大きな、塩漬け不良債権だそうだ。

世代の違い。
わたしは、けっこう古い地域で育ったので、旧式の感覚なのかも知れないが、
今風の考えには付いていけない。
母や義母などは、想像もできない考えだろう。

時代の流れとはいうものの、こんなにも考えが親子でも違うのかと思うと、驚きを隠せない。
長い歴史など、彼らには、まったく、たんなる負担なのかと思うと、
これまで維持してきた人々の軌跡が虚しいものに感じる。

人は、この世からいなくなれば、それまでか。
残った者の好きなように、思うようにすればいいのだろう。
受け継ぐということは、いかに難しいことなのか、今頃になって重く捉える自分がいる。

自分がいかに大切なものであっても、子供にとっては、そうでない。
その現実を目の当たりにすると、なんだか、複雑な、頭ではわかっても、でも、情では、理解できない。
実際に、家を売る手続きに入っているわけでもなんでもないが、
時期が来たら、そうなる可能性は大いにある。

家は、住まい、日々の暮らしの詰まったものだと思っている。
暮らしには、こころが詰まっている。
そういう積み重ねを感じていたのは、自分だけだったのかと思うと、虚しい。
が、彼らには彼らの暮らしがあり、今から積み重ねて築いていく、現在進行形。
足を引っ張るわけにもいかない。
親を乗り越えていってもらう、親は踏み台でいい、と思いたいところだが、「無」「リセット」は、やはり哀しい。

時代は変わるものだと、つくづく思う。
が、その責任の一端は、伝統や慣わしから逃げることばかりを考えていた自分にもあると感じる。
イエ制度や家父長制などは、もう名実ともに、戦後70年の時を経て、完全に消滅しているのか。
わたしの世代は、名と実の過渡期なのか。
養子を取ったりして、頑なに守り継いでいるイエもある。
それとも、考え方は、暮らしている地域の色に染まるのか。

しかし、より良い未来のために、知恵を絞るのは悪くないこと。
カタチは、違っても、思いが伝わり、残れば、それでよいのだろう。
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